十六代 小原治五右衛門
OHARA Jigoemon XVI
安土桃山時代・天正三年(1575)から一子相伝で継承する「城端蒔絵」の十六代目。代々「小原治五右衛門」の名を襲名し、天覧品や奉納品、茶道具などを制作。日本、ニューヨーク、ワシントンD.C.、インドネシア、香港など国内外での展覧会活動や、城端曳山祭で巡行する曳山・庵屋台などの文化財保存修復に従事。また、TEDxをはじめ国内外での講演やプレゼンテーションにも登壇する。令和元年(2019)「十六代 小原治五右衛門」を襲名。令和5年(2023)「一般社団法人 小原治五右衛門 城端藝術文化機構」を設立し、代表理事に就任。
The art of Jōhana Makie has been passed down from father to son for sixteen generations since 1575, and the name “Jigoemon Ohara” has been inherited since the Azuchi-Momoyama period up to this very day. I am not only a craftsman of fine artifacts including tea ceremony utensils and artwork honored by imperial inspection in Japan, but also actively engaged in exhibitions, and preservation of cultural heritage such as Hikiyama floats both domestically and overseas. I have given talks and presentations in Japan, the US, Hong Kong, as well as at TEDxHimi. I succeeded the name “OHARA Jigoemon XVI” in 2019.
【略歴】
1979 富山県南砺市城端生まれ
1997 富山県立高岡工芸高等学校 工芸科 卒業
2000 石川県立輪島漆芸技術研修所 蒔絵科 卒業
2002 第41回 日本伝統工芸富山展 奨励賞
2003 第50回 日本伝統工芸展 初入選 (計15回)
2006 日本工芸会正会員に認定
2009 城端曳山等保存修理事業・文化財保存修復に従事 (計19事業)
2011 全国山・鉾・屋台保存連合会 祭屋台等製作修理技術者に認定
2013 となみ野美術展2013 工芸部門賞 北日本新聞社賞
2015 The Best of Toyama: Kōgei Art and Design from Japan 招待出品 (Onishi Gallery, New York, US)
2015 Baccarat Hotel & Residences New York 招待出品
2016 TEDx Himiに登壇
2016 Asia Week New York 2016 招待出品
2016 Kōgei: Contemporary Japanese Art as part of National Cherry Blossom Festival 招待出品 (在アメリカ合衆国日本大使館, Washington D.C., US)
2016 スタディサプリLIVEに登壇 (株式会社リクルートマーケティングパートナーズ)
2017 第56回 日本伝統工芸富山展 日本工芸会富山支部賞
2017 Asia Society Global Education Seriesに登壇 (Asia Society Hong Kong Center)
2018 Hotel Mulia Senayan - Jakarta 招待出品 (Indonesia)
2018 Chanoyu: The Arts of Tea Ceremony (香港大學美術博物館 HKU | 香港藝術學院 HKAS)
2019 城端神明宮奉納 祓串・台座を制作
2019 十六代 小原治五右衛門を襲名
2019 International Antiques Fair 2019 招待出品 (Hong Kong Convention and Exhibition Centre)
2019 “Inheritance 継承 - The Intangible Cultural Heritage of Japan” Exhibition 招待出品 (Hong Kong City Hall)
2021 「Metamorphosis and Evolution 変容と進化」展 (emmy art +, 東京)
2022 継承 - 十六代 小原治五右衛門 襲名記念展 (emmy art +, 東京)
2023 一般社団法人 小原治五右衛門 城端藝術文化機構を設立 代表理事に就任
2023 富山市佐藤記念美術館 特別展『生成 - Bringing Things to Life ものにいのちを吹き込む』 招待出品
2024 第63回 日本伝統工芸富山展 富山県知事賞
2024 第71回 日本伝統工芸展 日本工芸会新人賞
【現在】
(一社) 小原治五右衛門 城端藝術文化機構 代表理事
(公社) 日本工芸会 正会員
(公社) 日本工芸会富山支部 幹事
全国山・鉾・屋台保存連合会 祭屋台等製作修理技術者
城端地域学校評議員会 評議員 (ふるさと南砺科城端学 講師)
城端教育振興会 常任理事
富山県立高岡工芸高等学校 青井記念館美術館 運営委員
富山県南砺市城端にて制作
城端蒔絵
小原治五右衛門 系譜
Genealogy
城端塗元祖
佐々木又兵衛之綱 (1550 - 1636)
城端蒔絵元祖
畑治五右衛門 好永
二代 畑治五右衛門 宜安
二代 佐々木六右衛門 達仲 (1596 - 1676)
三代 佐々木徳左衛門 信好 (1617 - 1699)
四代 小原理右衛門 亮好 (1645 - 1719)
五代 小原源右衛門 貞好 号:雲山軒 (1663 - 1736)
六代 小原治五右衛門 忠好 (1703 - 1771)
七代 小原治五右衛門 林好 号:稀雄 (1729 - 1805)
八代 小原治五右衛門 宗好 号:一白 (1764 - 1813)
九代 小原治五右衛門 房好 号:雄蔵 (1787 - 1859)
十代 小原治五右衛門 (1805 - 1882)
十一代 小原治五右衛門 号:得賀 (1835 - 1879)
十二代 小原治五右衛門 号:白晁 (1867 - 1918)
十三代 小原為治 (1896 - 1983)
十四代 小原治五右衛門 号:白照 (1917 - 2003)
十五代 小原治五右衛門 好博 (1951 - )
十六代 小原治五右衛門 好喬 (1979 - )
小原治五右衛門
歴代略伝
A Brief History of the Ohara Family
城端塗 元祖 / Founder of Jōhana Lacquering
佐々木 又兵衛 之綱 / SASAKI Matabei Yukitsuna
1550 - 1636
近江源氏・佐々木高範の裔、佐々木入道祐玄の曾孫。天文19年(1550)生。幼名は久太郎。天正元年(1573)、23歳のとき梅原村より城端へ移住し、同3年(1575)に大工町で塗師屋を開き「塗師屋又兵衛」と称した。小原家における漆芸の始祖であり「城端塗」の元祖である。寛永13年(1636)3月12日、86歳にて没す。
城端蒔絵 元祖 / Founder of Jōhana Maki-e
畑 治五右衛門 好永 / HATA Jigoemon (Yoshinaga)
南朝の遺臣・畑六郎左衛門時能の裔。天正年間(1573 - 1592)、長崎で唐人より「彩漆密陀絵法」を学び、城端に伝え「城端蒔絵」の基礎を築く。
畑 治五右衛門 宜安 / HATA Jigoemon II (Gian)
治五右衛門好永の子。承応3年(1654)、医師に転じ、好永から授かった彩漆密陀絵法を三代 徳左衛門信好に伝授する。
二代 / Second successor
佐々木 六右衛門 達仲 / SASAKI Rokuemon (Tachinaka)
1596 - 1676
又兵衛之綱の長男。慶長元年(1596)生。延宝4年(1676)7月28日、80歳にて没す。
三代 / Third successor
佐々木 徳左衛門 信好 / SASAKI Tokuzaemon (Nobuyoshi)
1617 - 1699
六右衛門達仲の長男。元和3年(1617)生。承応3年(1654)、37歳の時に好永の子・宜安(医師に転業)より密陀絵法を伝受し、白蒔絵の特色をつくり城端蒔絵の名を世に広めた。その作品は加賀藩五代藩主 前田綱紀の「百工比照」のなかに入る。元禄12年(1699)1月5日、82歳にて没す。
四代 / Fourth successor
小原 理右衛門 亮好 / OHARA Riemon (Sukeyoshi)
1645 - 1719
徳左衛門信好の長男。正保2年(1645)生。貞享5年(1688)、加賀藩の名工 清水九兵衛とともに城端善徳寺の塗師頭取となり、髹漆に従事する。宝永年間(1704 - 1711)、60歳代において従来の家名「佐々木」を「小原」に改めた。享保4年(1719)10月8日、74歳にて没す。
五代 / Fifth successor
小原 源右衛門 貞好 / OHARA Genemon (Sadayoshi)
号:雲山軒 / nickname Unzanken
1663 - 1736
徳左衛門信好の次男で亮好の弟。亮好に男児がなかったので五代目を継いだ。寛文3年(1663)生。雲山軒と号す。元文元年(1736)8月11日、73歳にて没す。
六代 / Sixth successor
小原 治五右衛門 忠好 / OHARA Jigoemon VI (Tadayoshi)
1703 - 1771
源右衛門貞好の長男。元禄16年(1703)生。幼名は吉十郎、若名は茂右衛門、後に治五右衛門。以後、代々「小原 治五右衛門」を襲名する。明和8年(1771)10月7日、68歳にて没す。
七代 / Seventh successor
小原 治五右衛門 林好 / OHARA Jigoemon VII (Shigeyoshi)
号:菊斉稀雄 / nickname Kikusai Kiyū
1729 - 1805
治五右衛門忠好の甥(忠好の姉の子)。忠好に男児がなかったので養子となり七代目を継いだ。享保14年(1729)生。幼名は又十郎、若名は源右衛門。俳名を方歩斉几好、51歳で五一、61歳で六一、70歳の春に菊斉稀雄と号す。寛政5年(1793)、65歳で隠居し、隠居名を惣次という。城端蒔絵「中興の祖」と仰がれ、多くの門弟を育て城端塗の最盛期を築き、曳山・庵屋台をはじめ多くの作品を残した。謡曲や囲碁にも巧者であり、余技として雛人形も制作し、和歌・俳諧にも長じ文藻に富んだ。安永の曳山騒動にあっては身を挺して尽力した豪気な一面は多くの人に感動を与えた。寛政10年(1798)に古希を記念して「自画像」(南砺市指定文化財・南砺市蔵)を描き、辞世の句「蓮の実やこゝを去ること遠からず」は水月寺境内に「蓮子塚」として現存している。文化2年(1805)9月13日、76歳にて没す。
八代 / Eighth successor
小原 治五右衛門 宗好 / OHARA Jigoemon VIII (Muneyoshi)
号:一白 / nickname Ippaku
1764 - 1813
治五右衛門林好の次男。長男早世のため8代目を継ぐ。宝暦14年(1764)2月2日生。幼名は久太郎、若名は吉左衛門。李東父または李東氏一白と号し、作品には一白館、一白斉、一白庵とも署名した。安永9年(1780)10月、17歳のとき加賀藩九代藩主 前田重教が城端へ御成りにつき元服した。蒔絵の意匠、技術に優れ、和歌・俳諧をたしなむ。また天文学者「西村太冲」を友として天文学に通じ、蘭学など西洋学門を修得し多方面に才能を発揮した。文化10年(1813)7月9日、49歳にて没す。
九代 / Ninth successor
小原 治五右衛門 房好 / OHARA Jigoemon IX (Fusayoshi)
号:雄蔵 / nickname Yūzō
1787 - 1859
七代 治五右衛門林好の四男で宗好の弟。天明7年(1787)5月24日生。幼名は北松、若名は林房、のちに雄蔵。俳名を山朝、隠居名は茂兵衛と称す。塗立の技に長じ名工の誉れが高い。代表作「彩漆鯰模様手付盃盆」(富山県指定有形文化財)のほか、弘化3年(1846)には曳山御神像の布袋像(出丸町)を改作。また、善徳寺の「唐金燈籠」の意匠を考案する。安政6年(1859)10月14日、72歳にて没す。
十代 / Tenth successor
小原 治五右衛門 / OHARA Jigoemon X
1805 - 1882
八代 治五右衛門宗好の長男。文化2年(1805)11月4日生。幼名は久太郎。慶応4年(1868)正月、62歳にて隠居し隠居名を六右衛門と称す。先代とともに塗立の名手で朱漆塗を得意とし、仏壇塗には独特の妙技を振った。明治15年(1882)7月21日、76歳にて没す。
十一代 / Eleventh successor
小原 治五右衛門 / OHARA Jigoemon XI
号:得賀 / nickname Tokuga
1835 - 1879
十代 治五右衛門の長男。天保6年(1835)8月15日生。幼名は北松、後に得賀と号す。狩野派の絵を学び絵画にも長じる。明治11年(1878)、天皇北陸御巡幸のみぎり「鶏に花籠蒔絵小蓋」が御買い上げの栄に俗した。明治12年(1879)7月17日、43歳にて没す。
十二代 / Twelfth successor
小原 治五右衛門 / OHARA Jigoemon XII
号:白晁 / nickname Hakuchō
1867 - 1918
十一代 治五右衛門(得賀)の長男。慶応3年(1867)9月21日生。幼名は久太郎、後に白晁と号す。12歳にて父・得賀に死別後、家伝の技法を研鑽習得し、パリの万国博をはじめ内外の展覧会・博覧会に出品し、受賞した。大正7年(1918)12月5日、51歳にて没す。
十三代 / Thirteenth successor
小原 為治 / OHARA Tameji
1896 - 1983
十二代・治五右衛門(白晁)に男児がなく、長女みすいの養嗣子となる。明治29年(1896)4月1日生。治五右衛門白晁より蒔絵を学ぶが、後に刺繍業に転じ、京都へ移住する。昭和58年(1983)5月2日、87歳にて没す。
十四代 / Fourteenth successor
小原 治五右衛門 / OHARA Jigoemon XIV
号:白照 / nickname Hakushō
1917 - 2003
為治の長男。大正6年(1917)11月25日生。若名は治寿、後に治五右衛門に改名し、白照と号す。昭和10年(1935)京都市立美術工芸学校(現京都芸大)漆工科卒業。江馬長閑に京蒔絵を師事する。昭和22年(1947)沖縄より復員後、空白となっていた城端蒔絵を再興し、展覧品を制作する。昭和23年(1948)第4回日展入選、同33年(1958)高松宮家献上品制作。歴代遺作展・個展の開催などを経て伝統の保持に努め、『城端曳山史』の執筆や曳山御神像(城端:東上町「寿老人」・出丸町「布袋」、八尾西町「恵比須」)の修復にも力を注ぎ、城端町文化財保護委員長や曳山調査委員長なども努めた。昭和63年(1988)労働大臣表彰卓越技能章・「現代の名工」、平成元年(1989)勲六等瑞宝章受章。平成15年(2003)4月30日、85歳にて没す。
十五代 / Fifteenth successor
小原 治五右衛門 好博 / OHARA Jigoemon XV (Yoshihiro)
OHARA Jigoemon Ⅺ and OHARA Jigoemon Ⅻ
1951 -
十四代・治五右衛門(白照)の長男。昭和26年(1951)4月2日生。昭和45年(1970)金沢美術工芸大学日本画科に入学し、西山英雄、下村正一等の指導を受ける。在学中の昭和48年(1973)日展入選、全関西展橋村賞、県展県展賞。昭和49年(1974)金沢美術工芸大学日本画科卒業。金沢で加賀蒔絵を学んだ後、十四代より城端蒔絵を継承し、日本画家としても活動する。
1978 「城端神明宮春季大祭行列之図」制作 (城虎会奉納・城端神明宮蔵)
1991 「鳳凰」制作 (参九卯辰会奉納・城端神明宮蔵)
2003 「城端曳山祭之図」制作 (曳山祭の重要無形民俗文化財指定記念・城端曳山会館蔵)
2005 県展会員となる
2006 となみ野アート個展 (北日本新聞砺波支社ギャラリー)
2007 県展審査員を務める (計4回)
2008 十五代 小原治五右衛門を襲名
「十五代襲名記念展」 (城端曳山会館)
北日本マンスリーアート個展 (北日本新聞本社ギャラリー)
2009 西上町「竹田山」岩波彫刻(彩色)を修復
2010 南砺市日本画連盟委員長に就任
第6回 南砺市展審査員長を務める
2011 西下町「諌鼓山」諌鼓を復元新調
還暦記念日本画展 (じょうはな織館)
2016 富山新聞芸術賞受賞
【現在】
富山県日本画家連盟常任委員
富山県美術連合会理事
南砺市日本画連盟相談役
南砺市美術連合会常任理事
県展会員
となみ野美術展実行委員
日本画教室「彩好会」主宰
庄川美術館実技講座講師
富山新聞文化センター高岡スタジオ日本画教室講師
七代 小原治五右衛門(稀雄) 自画像
OHARA Jigoemon VII Self-portrait
寛政10年(1798)
南砺市指定文化財
十一代 小原治五右衛門・十二代 小原治五右衛門
OHARA Jigoemon XI and OHARA Jigoemon XII
明治初期 (1868 - 1872)
@
© Jigoemon Ohara All rights reserved.